北風と雨雲
天気予報は正直者である。
暑い寒いはもちろん、天気が急変する具体的な時間まで言い当ててしまう。
そこに多少の誤差があろうとも、普段生活する分には十分すぎる精度でまあ当ててくる。
天気予報では、昨日ずるずると降り続けた雨は17日の明け方には止むという。
本日明朝、目を覚まし、直後窓から空を眺める。
すばらしい!昨日まで広がっていた重苦しい雲はどこにもない!
いざ雲はあれど、雨が降るか否か、要点はそこだ。
とにかく雨は「降っていない」。
早速支度を済ませ、昨日のうちに準備した荷物を背負ってペダルを漕ぐ。
今日は久々に自転車でおでかけだ!!
くもり、天から降り注ぐ何某を遮る術を持たない自転車にとってこれ以上の天気はない!
だけど悲しいかな、自己中心的な人間からするとどれだけ科学が進歩してもその精度は「まあ」の域を出ないのである。
天気予報は嘘つきである。
道中
雨
降った。
霧でも小雨でもなく、普通に雨。
しかも1番傾斜きついところだし。
なぁ。
休憩しようにもここはド田舎の一本道。
冗談抜きで30km先の町を目指すかか30km後方の町まで戻るしかない。
左手は山、急斜面、無理。
右手は海、飛び込んだとこでEScapeというよりむしろLOST。
降らないって、話だったじゃん。
降水確率、10%って言ってたじゃん。
10%が、当たったということ…か?
降らないとは、言ってない…か。
天気予報は正直者である。
膨大なデータから導いた進言は予測であり事実ではない。
「かも」と言っている時点で「じゃないかも」がその裏に潜んでいることを忘れてはいけない。
「じゃないかも」が現実になったらそれはそれで正解なわけで。
つまり雪が降ろうが鯖が降ろうが、どう転んでも天気予報は真実しか語らない。
それこそこの宇宙が次の瞬間収縮・消滅して未来の事象が「起きない」くらいでもしない限り。
それでも
天気予報は嘘つきである。
と言わざるを得ない。
日焼けした。
すっげー日焼けした。
腕がギア2使ったルフィみたいに赤い。
これと天気予報に何の関係があるか、そう言いたいのでしょう?
一時雨は降ったものの、大局的にみれば今日はくもりと言える。
そんな日にもっのすごい日焼けをした。
明らかに因果関係が破綻していることがわかると思う。
最強の矛を最強の盾に突き刺そうとしたらどうなるか。
答えは道理に合う答えを導き出すことはできないためこの世界線が閉じて無くなってしまう、です。
本来なら数時間前に終わっていたこの世界、しかしながらまだ残っているということは
天気予報は正直者である。
ということなのだろう。