あばばばスーパーアリーナからのお知らせ

あばばばスーパーアリーナからのお知らせ欄です

音を浴びた話 前編

それは何気ない会話の最中だった
 
 
 
「チケット、あります」
 
 
 
 
僥倖
 
 
「この機を逃してはならない」
 
誰かにそう囁かれた気がした
 
 
 
 
金は、ない(今のクレカの利用可能額4000円)
 
 
しかし、心は
 
 
 
 
…フッ
 
 
思考を巡らすまでもない
 
「『答え』は、とっくに出ていたのか…」
 
自分でも可笑しくて思わず笑ってしまう
 
 
 
 
一歩、足を踏み出す
 
表情からは強い決意が読み取れる
先ほどの笑みは、どこにもない
 
 
そして天から差し出されたその手を握り返––––––
 
 
 
 
 
 
///あ、握手の前には手の消毒をお願いしま〜す\\\
 
 
 
あっ、はい…
 
 
 
 
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
 
 

野外 × 生バン × 久々のライブイベント

 
 
 
試験も終わり、『ゲ』はオーバーフロー寸前
 
 
 
 
 
これはもう
 
 
行くしか、ないだろ……!!!
 
 
 
 
 
ま、ぶっちゃけド暇ってのは嘘
 
 
 
つことでハッチャけてきたぜ、山梨で!!!
 
 
ただいま東京駅発の人権が保障された3列高速バスに乗って帰宅の途なうでございます
 
 
さてさて、本題である今回の行程
 
あらゆるところに「はじめて」が散りばめられたはじめてづくしでクッソ楽しかったですね〜
 
 
勉強にもなったしふっつーに有意義でした
 
いい夏の思い出です
 
 
 
 
早速順を追って話していこう!!
 
 
とりあえず日付を一昨日まで巻き戻しまして…
 
 
|◁◁
 
 
はいそこ、8月22日の23時すぎで停止です
 
||
 
 
 
旅路の始まりといえばやはりこれです
 
 
駅前、夜、荷物を抱えた人々
 
そしてヤコバこと夜行バス
 
 
 
正直ここがこの2日間のクライマックスだったまであります
 
 
 
齢二十二にして、初めて夜行バスに乗りました
 
 
 
あれは人間の乗るものじゃない
 
乗ると腰がボキャボキャに折れる
 
帰りならまだしも行きになんか用事があるならやめておいた方がいい
 
 
とかなんとか散々脅されて生きてきたもんだから完全に夜行バスは畏怖の対象だったわけですよ
 
 
まあそりゃバスん中で寝れなかったら翌日死亡が確定するのは誰でもわかりますけど
 
 
 
 
富豪ぶりたがるタチゆえ、遠征時の交通手段は乗り心地とか精神的なんとかかんとかを求めて上級国民向けの乗り物を選びがちですが、
 
 
クレカの利用可能額が4000円の件で東京に行く手段は全交通手段の中で最安値の高速バス以外選択肢ナシ
 
 
まあ、一度くらいは乗っといてどんなもんか試す機会も必要
 
未来への投資とかなんとか言って適当にカッコいい理由をつけて高速バス.comみたいなところでイッッッチバン安いやつを予約
 
 
でさ、いつも疑問なんだけど
 
高速バスってなんであんな価格にできんの?
 
安すぎて一周回って心配になるんだけど???
 
今3000円あれば仙台と東京往復できるからね、意味わからんでしょ
 
 
 
その3000円で夜行バスは「乗れる」とわかったわけだけど、論点はそこじゃねえんだ
 
 
 
 
仙台って立地
 
「夜行バスに近し昼行バスに遠し」
 
だね??
 
 
 
仙台は東京と400kmも離れていないらしく、
車とか、高速バスなら5時間で着きます

 
5時間っつー時の長さに対する印象は人それぞれでしょうが、とにかく移動時間が短ければ短いほど楽で便利
 
 
 
と思ってたけどさ、どうやら違うらしい
 
まあ普通ならそうなんだけど、実は違うらしい
 
 
 
24時に仙台を出ると5時すぎには東京着
 
 
5時に着いて、どうしろと
 
いやね、そこから乗り換える人とか、朝早くから色々動きたい人ならいいと思うんだけど
 
東京でお買い物した〜い!みたいな目的の人が5時の新宿に放り出されたとこで店開いてないし店開いてないし店開いてないし!!!!
 
あばばばもバスの乗り換えをする必要があったんですが9時すぎ出発なんで4時間くらいどうにかする必要があったんですね
 
や、無理でしょ
 
 
てか5時の新宿汚ぇ!なんだこれ!!
 
浮浪者とバスから降りたゾンビみたいな顔した人しかいねぇしよ
 
 
 
もっと遅く東京に着くやつに乗ればいいじゃんってお思いかもしれませんが、25時以降に仙台を発つ便がまぁ無えのな!!
 
 
24時発5時着、マジでこれ以外選択肢がない
 
 
仙台は近すぎるから前にも後ろに時間がずらせないんでしょ、多分
 
 
マジで迷いました
 
ネカフェで時間を潰すか、外のベンチに寝るか
 
 
 
後者を選ぶ勇気はなく、いざ快活
 
 
快活、全人類が「あそこは実家」と言ってたんでそのうち使ってみようかなと思ってたんですよね
 
実力、試させてもらおう〜wwww
 
 
 
 
 
新宿西口の快活すごいね、神
 
 
おにぎりが食べ放題
 
 
時間潰してたらお腹が満たされたの流石にバグ
 
 
 
 
いやこれバスの件でも話したけどさ
 
 
この金額で利益出るんすかこれ?????ってサービス世の中に多すぎない???
 
 
今こんな状況になってから気づいたけど、チケット販売会社の管理システムとかもすごいと思うわ
 
全国どのコンビニでも支払い発券できるのは便利すぎるわ
 
 
前に手数料がどうこうと文句いったけど謝るわ
すまんイープラス、いつもありがとう
 
 
 
 
 
出発から9時間
 
自分は世の中に生かされているということを知ったあばばばだった…
 
 
 
To be continued…
 
 
 
次回予告
 
灼熱の太陽、鈍色の雨雲、そして雄大な夏富士
絶叫と熱気が渦巻く富士吉田
そこであばばばがみたものとは
 
次回、「高く、更に、高く」

歯医者のパラドクス

百聞は一見に如かず


意味:人から何度も聞くより一度実際に自分の目で見る方がたしかであり、よくわかる。
 
例文:富士山からの景色は絶景だったよ、百聞は一見に如かずだね。
 
 
 
と、書物なりサイトなりにこのことわざが記されていた場合、このことわざ自体が『百聞』の中の1つに入るんじゃないですかね?人から伝えられたこと、なので。
 
 
となると、このことわざは自己矛盾に陥ってしまうのではないかな、と。
 
 
 
ええぃ、難しい話だなぁ!
 
このことを2パターンに分けて説明するとですね…
 
 
 
事例1.ことわざが正しいとき
 
ことわざが正しいってことは、あらゆる場面において、人からたくさん教えを聞くより
 
もっと言えば「百聞は一見に如かず」って先人の知恵を学ぶより、
 
 
実際に自分が体験した方がよくわかる、ということになります。
 
 
ここで冒頭のことわざの意味をもう一度振り返りましょう。
 
 
『…自分の目で見る方がたしかであり…』
 
 
一見は百聞より『たしか』、言い換えれば『正しい』のです。
 
端的に言えば、百聞は真実でないことになります。
 
その百聞の中には「百聞は一見に如かず」が含まれている。
 
 
つまり、「百聞は一見に如かず」が正しいときは「百聞は一見に如かず」が正しくないのです。
 
 
このような結果になったのは「百聞は一見に如かず」を「正しい」と仮定したからです。
 
 
 
 
ではこのことわざは正しくないのかというと、そうでもなくて…
 
 
 
事例1.ことわざが正しくないとき
 
 
「百聞は一見に如かざらぬ時」ですね、わかりにくい…
 
 
百聞は一見に如かざる時が「百聞<一見」ってことは、
 
百聞は一見に如かざらぬ時は「百聞>一見」ということになりますね。
 
 
 
感の良い人、もうお分かりですね?
 
 
あの、ここで言っておきたいんですけど、上に書いたような「感の良い人ならもうわかったかもしれないけど〜」みたいなセリフ、いろんなところでよく聞くじゃないですか。
 
 
 
 
わかるかボケ〜〜〜〜!!!
もったいぶらずに早く説明せんかい!!!!!!
 
 
って思いません?
 
 
話の流れを作ってる張本人からすりゃさ、結論まで言わなくても「ここまで証拠揃ってれば話の落ちなんて誰でもわかるでしょw」って思うかもしれないけどさ、
 
聞いてる側からすりゃ初めて聞くことなんだからわかるわけねーだろーがよォ〜!!!!!
 
 
 
って毎回思います。それだけです。
 
 
話を戻しますと、ここは「百聞>一見」の世界ってところでした。
 
 
まあここは適当に話しますが(深く考えてないから)
 
「百聞は一見に如かず」ってことわざは百聞の中に入っているのに、百聞は一見にしかざらないので、矛盾するよねって感じです、多分。
 
↑ココ、百聞は一見に如かずは正しくないとは言ったけど、ことわざが存在していないとまでは言っていないというところがポイント。
 
 
 
なんかわけわからん話になりましたが、早い話が
 
『百聞は一見に如かず』は宇宙の法則をねじ曲げてるわけです。
 
 
 
「何を証拠に…」と思うでしょうが、あたしは昨日今日でそれを体験しております。
 
 
 
 
ついに3部作の最終章
 
「さっき、親知らず抜いてきた」
 
が完結しました、昨日です。
 
 
過去の記事探して読むのだるいと思うのでざっくりしたあらすじとしては、
 
5月に上2本抜いて、残るは下の1本のみ、しかし下は抜けにくいから覚悟しとけと毎回言われていた
 
 
って感じです。
 
上の歯が拍子抜けするほどスルッと抜けて、かつ麻酔が切れた後の痛みも皆無だったんですけど、お医者さんは「下はこれ確実に痛いよ、上は割と奇跡」みたいなこと言ってたし、
 
加えて親知らずを抜いた経験のある友達全員が、本当に全員が「下抜くとマジで痛いし数日ほっぺ腫れるよ」って言ってたので
 
 
「下の歯どんだけヤベェんだよ…」と軽く絶望していたワケでございます。
 
 
で、昨日、震えながら診療台に寝るよね。
 
 
診療室に入った時にチラッと目に入った器具の数が上の歯のときとは比べ物にならないくらい多かったところで察しました。
 
 
術中エピソードはまあまあエグかったからここでは語りませんよ。
 
 
 
 
めっちゃ時間かかった。
 
なんかすごいことやってた、見えてないけど。
 
 
 
 
帰宅後、今日1日中はずっと痛いんだろうな〜と、まだ麻酔が切れないうちに味も何もわからない状態でうどんをすすりながら鬱に陥って
 
 
1時間経過、
 
2時間経過、
 
4時間経過。
 
 
 
 
 
全っっっ然、痛くネェの。
 
 
 
は?
 
 
 
 
なんで百聞は一見に如かざらんのよ。
 
 
痛い痛いと言われる治療、実際にやられたら確かに痛い。
 
って場面じゃん、普通。
 
 
なんなら抜いた後、「根っこが意外と深かったから夜まで痛いよこれ」って言われたくらいだし。
 
 
 
とはいえ痛いと言われていた割には痛くなかったってのも「百聞は一見に如かず」っちゃあそうなのかもしれないけど…
 
にしても百聞と一見は割と同じ方向の見解であるべきなんじゃないでしょうか、語意的に。
 
 
だからもうこのことわざ、人間の理解できる範囲を超えてます、額面通りに受け取ってはいけない。
 
 
 
 
 
 
いいですかみなさん、
 
 
百聞は一見に如かざらんこともないんじゃない?
 
 
が事実です、この言葉を孫子に伝えてあげてください。
 
 
 
 
 
 
っていう、「人の言葉」より「自分の体験」の方が正確だなぁっていう話でした。

北風と雨雲

天気予報は正直者である。


 
暑い寒いはもちろん、天気が急変する具体的な時間まで言い当ててしまう。
 
そこに多少の誤差があろうとも、普段生活する分には十分すぎる精度でまあ当ててくる。
 
天気予報では、昨日ずるずると降り続けた雨は17日の明け方には止むという。
 
 
本日明朝、目を覚まし、直後窓から空を眺める。
 
すばらしい!昨日まで広がっていた重苦しい雲はどこにもない!
 
 
いざ雲はあれど、雨が降るか否か、要点はそこだ。
 
とにかく雨は「降っていない」。
 
 
早速支度を済ませ、昨日のうちに準備した荷物を背負ってペダルを漕ぐ。
 
 
今日は久々に自転車でおでかけだ!!
 
くもり、天から降り注ぐ何某を遮る術を持たない自転車にとってこれ以上の天気はない!
 
 
 
だけど悲しいかな、自己中心的な人間からするとどれだけ科学が進歩してもその精度は「まあ」の域を出ないのである。
 
 
 
 
天気予報は嘘つきである。
 
 
道中
 
 
 
 
 
 
降った。
 
霧でも小雨でもなく、普通に雨。
 
 
しかも1番傾斜きついところだし。
 
なぁ。
 
 
休憩しようにもここはド田舎の一本道。
 
冗談抜きで30km先の町を目指すかか30km後方の町まで戻るしかない。
 
 
左手は山、急斜面、無理。
 
右手は海、飛び込んだとこでEScapeというよりむしろLOST。
 
 
 
降らないって、話だったじゃん。
 
 
降水確率、10%って言ってたじゃん。
 
 
 
 
 
10%が、当たったということ…か?
 
 
 
降らないとは、言ってない…か。
 
 
 
 
 
 
 
天気予報は正直者である。
 
 
 
膨大なデータから導いた進言は予測であり事実ではない。
 
「かも」と言っている時点で「じゃないかも」がその裏に潜んでいることを忘れてはいけない。
 
 
「じゃないかも」が現実になったらそれはそれで正解なわけで。
 
 
つまり雪が降ろうが鯖が降ろうが、どう転んでも天気予報は真実しか語らない。
 
 
それこそこの宇宙が次の瞬間収縮・消滅して未来の事象が「起きない」くらいでもしない限り。
 
 
 
 
 
それでも
 
 
 
 
天気予報は嘘つきである。
 
 
と言わざるを得ない。
 
 
 
日焼けした。
 
すっげー日焼けした。
 
 
腕がギア2使ったルフィみたいに赤い。
 
 
 
これと天気予報に何の関係があるか、そう言いたいのでしょう?
 
 
一時雨は降ったものの、大局的にみれば今日はくもりと言える。 
 
そんな日にもっのすごい日焼けをした。
 
 
 
明らかに因果関係が破綻していることがわかると思う。
 
 
最強の矛を最強の盾に突き刺そうとしたらどうなるか。
 
 
答えは道理に合う答えを導き出すことはできないためこの世界線が閉じて無くなってしまう、です。
 
 
 
本来なら数時間前に終わっていたこの世界、しかしながらまだ残っているということは
 
 
 
 
 
天気予報は正直者である。
 
 
ということなのだろう。

第14回

(♪BGM)
 
 
(♪BGMボリュームダウン)
 

今夜も仙台の地からお届けします、『あばばばスーパーアリーナからのお知らせ on the RADIO』ゥ〜(流暢な英語風)

 
 
こんばんはみなさん、いかがお過ごしですか?
 
気づけば今年も半分が過ぎようとしていますね。
時間はマジなガチであっという間に過ぎていくものなので、疲れない程度に1日1秒一瞬に全力を尽くしたいと思っております、あばばばです。
 
 
このラジオはこのラジオのパーソナリティを務めますアタクシあばばばが感じた「ど〜でもいいこと」や「ど〜〜でもなくないと思ってたけどやっぱどうでもよかったわ」ってこととかを無責任にお話ししていく番組です。
 
 
 
ポテトサラダ、あるじゃないですか。
 
今この番組をお届けしながらポテサラ食べてるんですけど、おいしいですね。
 
食卓に出てくる家庭の味だったり、弁当の隅にたたずんでいたり、居酒屋のお通しとして出てきたり…
 
 
一概に「ポテトサラダ」といっても提供されるそれぞれの場面によって性格がかなり変わってくる料理のひとつですよね。
 
 
ジャガイモの潰し具合で食感も味も変わるし、味付けだってマヨネーズにカラシ入りのやつを使ってみたり、コショウの種類で全然違う料理になりますよね。
 
アタシの地元は青森なので割と、どころか結構砂糖がたくさん入ってて甘いんですよね。
 
あ、一部の青森県人はなんでかは知りませんがなんでもかんでも甘くしたがるんですよね。
 
 
茶碗蒸しはほぼプリンだし、栗ごはんは死ぬほど砂糖を入れるし、赤飯の小豆には甘納豆を使います。
もうおやつですよ、おやつ。
 
数年前までは甘い味付けが"スタンダード"だと思ったいたので甘くない茶碗蒸しを初めて食べた時は吹き出しましたね、ギャップで。
 
 
確かに慣れない味でしたけど、あれはあれで普通においしい料理なわけなので二口目からは美味しく頂きました。
 
 
で、ポテサラなんですけど、あばばばは温かいポテトサラダが好きなんですよね。
 
弁当とかはもちろんですけど、経験上料理屋で出てくるもののほとんどは常温もしくは冷たいものだと思います。
 
っても基本的に温かいポテトサラダってのは出来上がってすぐのものを指すわけで、それを提供するにはジャガイモを茹でて潰して他の材料と混ぜ合わせる作業を提供の直前に行う必要があるのでほぼ不可能に近いのです。
 
若干マヨネーズが分離(?)しますがレンジで温めることでできたてポテトサラダを再現できるので気になった方はちぇけらー!
 
 
ポテトサラダと共にスタジオも温まったところですので、早速お便り紹介コーナーに移っていきたいと思います。
 
 
それでは今夜も最後までお付き合いください、『あばばばスーパーアリーナからのお知らせ on the RADIO』!!
 
 
(♪BGMボリュームアップ)
 
(♪BGMボリュームダウン)
 
 
………

なんならスタバより居心地良い

こんにちは。

 
 
みなさん知ってましたか?
 
座ってるよりも立っていた方が腰への負担って小さいらしいですよ。
 
この3ヶ月ずっと椅子のない部屋で床に座って過ごしていたのでついに腰痛を発症しました。
 
先週は腕を前に伸ばすことすらできなくて本気で死を覚悟したね。
 
 
小さい時に親が「ちょw腰痛いからおんぶしてあげられないwww」っていって遊んでくれなかったことがあって、当時は(腰痛なんて屁でもねぇだろwww)程度にしか思ってなかったんですけど
 
今思えば「ちょ…腰痛いからおんぶしてあげられない(絶望)」だったんでしょうね。
悪いことしたなと反省しています、ごめんね。
 
 
腰痛は遺伝らしく、その肝心の両親は2人とも腰痛持ち。
 
親戚にヘルニア持ちはゴロゴロ転がってて、あまりの酷さに手術を受けた人もいます。
進む未来に希望はありません。
 
 
誰か助けて。
 
 
 
 
 
さてさてさて、今日はお茶飲んでお茶飲んで血を抜かれてアイスを食べた話です。
 
 
ラーメン帰り、献血してきました。
 
献血です。
 
ガチで気分がいい。今いいことしたナァ〜の感情にに溢れてる。
 
 
やる前は正直恐怖しかなかったですね。
針怖い。
 
 
恐る恐る献血ルームに足を踏み入れると「全血液型 不足!」の文字が。
 
地元の献血ルームの前にもこんな看板ありましたね。
 
永年閉店セールしてる店かよってレベルで常時不足してる血液。
 
詳しいことは知りませんが、実は足りてんじゃねぇのか?って思ってます。
 
 
 
若者の血が足りネェとか外出自粛によって献血者が減ってるみたいな話を聞いてましたが、仙台の献血ルームは超満員。
 
でも確かに若者は少なかったね。
 
 
インフルの予防接種で使われる針なんて比じゃないレベルの太ってぇ針には流石に恐怖感じましたね。
 
あばばばは緊張すると冷や汗がダバダバ出る体質ので献血終了後は背中ビシャビシャでした。
 
 
 
 
20代の方は全然来ないから今度お友達も連れてきてね〜とマジで全スタッフに言われました。
 
今度オタクと献血連番したいですね。
 
 
 
そこそこの頻度で運動している健康人だし、今日はランニングお休みデーだったので世のため人のためになればっつーことでやってきた次第。
 
 
飲み物飲み放題食べ物食べ放題ですし、ラップやら洗剤やらいろんなものをもらえたので今度貧民発症させたらまたやってこようかなと思います。
 
 
 
日本赤十字社の資金源はよく知りませんが、誰かの善意で世の中動いてるんすね〜って感じです。
 
 
 
血が減ったので今日は牛肉パーチーをします。
 
そりでは!ば〜い!!

ぱんも小麦

ボールがなければ野球ができないように

 
キャンバスがなければ絵が書けないように
 
肉がなければシュラスコが作れないように
 
 
 
 
 
話題がなければブログも書けませんのよ
 
 
ブログことblogって単語、「ウェブにログ(記録)する」を意味するweblogを略したものらしいよ。
 
ウェブがあってもlogるものがなきゃー、ね…
 
 
 
 
一方で、昔のお金持ちはこう言いました。
 
パンがなければお菓子を食べればいいじゃない
 
 
本当は上記のようなニュアンスではないそうだけど、知らん。
 
 
 
これを今の状況に当てはめれば
 
 
話題がなければ『作ればいいじゃない』
 
 
 
 
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今日も今日とてうどんを食べようと思いつき、立ち上る、が
 
こうも毎日うどんをたべてるわけですから、何かしら違う感じにしてやろーとしました。
 
 
決してうどんに飽きたからではない。
 
3食うどんにするくらいだからうどんに対して『飽き』という概念はない。
 
決してうどんに飽きたからではない。
 
 
 
カルピス某とはいかなくとも、ぶっかけ、ざる、きつね、カレーなどなどその種類は豊富。
 
しかし坦々やとろろとかを作るには材料不足。
 
冷蔵庫にあるものでそのバリエーションを増やしてやろうと考えてましたが、そんなうどんに合う材料なんてあったかしらね…
 
結局素うどんに落ち着くのでは?という不安を抱きながらも探してみると、あるもんですね。
 
 
 
ざんぎり頭や外套、ランプなんかと同時期に日本で爆発的に流行った(とかいう)牛肉です。
 
 
「今宵は明治の文明開化に想いを馳せながら、肉うどんで腹を満たすこととしますか…」なんてことを考えながら肉とか玉ねぎその他諸々を手に取りキッチンへ向かいます。
 
 
うどんは最後に茹でるだけなのでほっとくとして、今回一番肝心なのはつゆをどう作るか、です。
 
 
ももてゃが最近なんとかスタグラムっていうSNSで紹介していたアゴダシ〜みたいなやつを使ってみようかと思いましたが、ジーザス、今家にそれはありません。
 
 
明日買いにいくとして、問題は今ですよね。
 
考えて3秒、いつものうどんをすき焼き風味にすればいいんですか?という結論に至り…
 
 
 
苦戦すること10分、まあ、まあ、まあ…なものができました。
 
ナシじゃあ、ないかな、くらいなので、アリです。
 
 
お肉と玉ねぎにも火が通りまして、最後にうどんを入れればおわり!
 
冷凍庫から冷凍さぬきうどんを取り出します。
 
 
取り出そうとします。
 
 
取り出そうとしました。
 
がんばりました。
 
 
 
 
無理でした。
 
 
ストック、切れてたんで。
 
ジーザス。
 
 
宮城のうどん王国と言われたあばアリでうどんストックを切らすなんて、万が一にもあるとは思いません。
 
 
昼にはあったのに…なんで?
 
たべたからか。
 
 
 
 
 
ま、ウチにはこんな時用の乾麺のうどんがあるんですけどね。
 
 
乾麺だとほっせぇんですけどうどんはうどんです。
 
 
肉うどんにしてはちょっとコシは足りない気がしますが、まァ及第点です。
 
 
 
こちら令和はサブスク流行ってんだし、うどんのサブスク(?)とかないんでしょうかね。

生誕祭と誕生祭には明確な違いがある。

「誕生日プレゼント何ほしい?」って言われても、ここまで成長しちまってはなかなか素直に欲しいものを言えないものです。

 
 
中学生くらいまでなら本当に今一番欲しいものを言われてもギリ買える金額で収まりそうですが、それが大人になるとたぶんダメかもです。
 
欲にまみれた人間に成長しちゃったヨ……
 
 
 
早い話が、「心がこもってたらなんでも嬉しいよ」とカッコつけた言葉を吐ける高尚な人間ではないわけですので、
 
 
相手にそれほど負担をかけず、なおかつ自分がある程度所望するプレゼント
 
 
を誕生日間近になったら即座に答えられるようにしなければならないのです。
 
 
 
かといって毎回誕生日の1ヶ月前あたりでそれなりの金額で済むものが欲しくなるとは限らないわけです。
 
 
 
 
んでな!そこでな!!
 
これ昨日思いついて「天才かー!!」って1人叫んでたんだけど、
 
 
贈って嬉しい、貰ってハッピー、しかも負担がかからねぇ誕生日プレゼントっつーのがあることに気づきました。
 
 
 
誕生日、年と日が再び巡ってくるからこそ存在し得ます。
 
 
 
故に、
 
「この一年でこういうところが成長したよな!」
 
ってのと
 
「次の一年はあなたにとってこうあってほしい」
 
 
を手紙でもメールでもなんでもいいんで形のあるものとして贈ってみるのはいかがでしょーか?
 
 
ってのを思いついたんだけど、どう!??
 
 
着想、結構逆抱負から得たみたいなところありますけど、これとそれの間には明確な違いがあるのでセーフ。
 
特許侵害にはなってません。
 
 
だから、これを読んだみんな、
 
 
 
 
今日4月20日が誕生日のあばばばに「この一年」と「次の一年」の感想と期待を贈ってくださ〜〜〜〜い!!!
 
 
待ってるよぉ〜〜〜ん!!